酔っているだけ

 いい歳になったので、もう自分が特別な人間でないことなど分かっている。

 わかっていても結局根底は変わらなくて、その根底ってのが「特別でない自分」の慰めっぷりだ。簡単に言えば、自分は特別であるはずなのに誰も気づかない、気づいていない、という錯覚を自主的に想起することだ。自主的に早期なんてなんか面倒くさい言葉回しをしたけどつまりは妄想である。特別でありたいという妄想。

 しかもその妄想は、年齢とともにその種類や彩度が変わってくるから心底気持ちが悪い。たとえば、自分は文化祭のステージの上で高らかに歌うバンドのボーカルだったり、たとえば自分は誰よりも豊かな言語を操る小説家だったり、たとえば職場で誰よりも尊敬される敏腕サラリーマンだったりする。こうやって改めて書くと、妄想が矮小化されているのがよくわかるね。矮小化されているくせに誇大表現が過ぎるのがさらに気持ち悪い。多分、永遠に変わらないんだろうな。だって永遠に特別にならないから。


 自分で自分がよくわからないなあと思うのは、特別になりたいくせに普通に固執し過ぎるところ。普通ってなんだよ、という問いについては抽象的な答えしか返さないけど、まあ、大多数の人間に文句言われない生き方とか、まあそんなところ。特別になれないならとことん普通になろうとも思うのに、なんか上手に普通も演じきれなくて、特別への憧れも消えないし、死ぬまでこんな思いでいるのかなと思うと苦しい。なんでわたしは、何かに秀でた人間になれなかったんだろう。

 わたしの愛する人々はみんな何かに秀でた特別な人間なので、そうした人間のことが大好きなんだけど、大好きであれば大好きであるほど自分が嫌いになっちゃうというジレンマが消えない。長々と書いたけど、つまりわたしはわたしが大好きなあなたにすごいねって言われたいんだな。有象無象では意味がなくて、あなたたちに認められたい。未来が欲しい。